原材料から作るお菓子屋さん、お菓子工房ゴドーです。
実は今ヴィーガン向けのお菓子を作れないか考えているところです。
目次
ヴィーガンって何?
「ヴィーガン(Vegan)」とは、ベジタリアンの中でも酪農製品も食べない厳格な菜食主義者のことです。
健康上の理由で菜食を続ける人から、「動物の権利(アニマル・ライツ)」を考えて動物性食品や製品を断つ人まで様々ですが、「肉、魚、卵といった動物性食品を避け、動物を犠牲にして作られる製品を使用しない」ことがヴィーガンの特徴です。
バンドメンバーに多いヴィーガン
意外に思われるかもしれませんが、ハードコアパンクバンドやデスメタルバンドのメンバーでヴィーガニズムを実践している人が多いです。
若い頃の私もそうした音楽やメンバーの姿勢に憧れて一時期ベジタリアンの真似事のようなことをしていましたが、当然長くは続きませんでした。
周りの理解は得られないし、栄養に関する正しい知識がないとただの偏食になり栄養不足になります。何より、ベジタリアン向けの食品を探すのがとても大変で、「これなら大丈夫だろう」と思っても鶏肉エキスやらカツオだしやらが入っていて食べられないというケースがほとんど。
ヴィーガン向けの食事を提供しているお店を探しても東京にちらほらあるだけ、といった感じですぐに断念してしまいました。
ヴィーガン向けのお菓子
お菓子工房ゴドーのお菓子には、卵かバターを必ずと言っていいほど使います。ベジタリアンで卵や乳製品を食べることに抵抗がない人には問題ないかもしれませんが、この時点でヴィーガンの方々に食べてもらえる商品にはなりません。
今パティシエが考えているのが、
- きび砂糖
- 自家製小麦粉
- なたね油
- 野菜
を使った「お野菜クッキー」です。
これならば動物性食品を一切使っていないのでヴィーガンの人にも食べてもらえます。
最初はヴィーガン向けお菓子を見送る方向だった
パティシエから「ヴィーガン向けのお菓子を作りたい」と言われた時、私は反対しました。
それは先述のとおり「東京でさえ数えるほどしかヴィーガン向け料理を出しているお店が無いのに三原みたいな田舎で需要があるはずがない」と考えたからです。
そもそもヴィーガンという言葉が浸透しているかどうかも怪しいのです。奇をてらった商品を開発するより、売れ筋の商品を販売することに注力したほうが好ましいのではないか、と考えるのも当然です。
ある商品を知ったことが転機だった
そんなとき、ツイッターのタイムラインでこんな商品を知りました。
大手メーカー森永が、「マクロビ派」をうたった商品を出していると知ったのです。
マクロビ(マクロビオティック)は精製された食品を食べない、食べ物には陰と陽がある、といった哲学的な考え方も含む食事法です。
私は有機農業をやっていて自家製の米飴も作っているので、周りにマクロビを知っている、あるいは実践している人が何人かいましたが、有機農家が数少ないようにマクロビを実践している人も少ないだろう、と考えていました。
ところが大手メーカーからマクロビ派という商品が出ていることを知り、考えが変わりました。
「マクロビやヴィーガンといった食事法や生活スタイルは、意外と一般的に知られているのかもしれない」と。
考えてみれば、今はスマホで何でも検索できてSNSから大量の情報が流れてくる時代ですから、当然といえば当然かもしれません。
また、時期によってはバターが不足し既存の商品が作れなくなることもあったため、バターに依存しない商品であるというところも魅力でした。
「やっぱりヴィーガン向けのお菓子作ってみよう」と改めてパティシエにお願いすることになりました。
とりあえずやってみる、の精神が大事
初めパティシエから「ヴィーガン向けのお菓子を作りたい」と言われたとき、「そんなマイナーなものが売れるはずがない」と決め付けてしまったのは恥ずべきことです。そもそもマクロビであるとか、ヴィーガンといったスタイルがどれだけ現在浸透しているか調べもせずに却下したのはパティシエに悪いことをしたな、と心の底から思います。
実際ヴィーガン向けのお菓子が売れるかどうかは判りません。三原近辺での需要についても判りません(ごく限られたものではあると予想しますが)。
しかしうちのような小規模のお菓子工房であれば、作ってみて売れなければ止めればいいだけの話です。大したリスクのある話でもありません。
また、自家製小麦でお菓子を作っているというイメージにも沿うものだと今では思います。
今回の件では、失敗を恐れず思いついたらチャレンジする柔軟さが大切であると学ばされました。
ヴィーガン向け商品については、試作品が出来次第ブログに載せたいと思います。
まとめ
- 意外とマクロビやヴィーガンといった食事法は浸透していそう
- 失敗を恐れずに挑戦する姿勢が大事
まだ試作品も結果も出ていませんが、学ばされることの多い事例でした。